第 8 章
敵地突撃
「マオ、なにをぐずぐずしておる!早うしたくをせぬか!」
動きやすく、目立たず、よごれてもかまわない色合いの服にしようと、ああでもないこうでもないと試着するわたしに、トウタがショルダーバッグの中から顔を出してせかす。
「わかったから、もうちょっと待ってよね」
探偵みたいなマネをしなくちゃいけないかもなんだから、そこはちゃんと身なりも考えておかないと。
パパとママは、もうとっくに出勤した。午前中は、家で自習ってことになってるんだけど、今日は特別だから許してもらおう。
水色の半そでシャツに、紺色のデニムパンツ。頭にはうつむけば顔をかくせる白のキャップをかぶって、これで完ぺきだ。
快晴の空の下、ショルダーバッグをななめがけし、自転車で秋葉原の天馬ビルを目指す。
ビルから少し離れた神田川沿いの広場に自転車を置き、建物のななめ向かいにあるコンビニに入ったのは、通常の鑑定業務が始まる午前十一時の五分前だった。コンビニは大手のチェーン店じゃなく、見たことのない店名だから、個人商店なのだろう。
目の前の道路は、片側一車線で、通り過ぎる車の量はそれほど多くない。
イートインのカウンターから、窓ガラスごしに天馬ビルの全体がよく見えた。
駐車場に車は一台もない。
店内でペットボトルのお茶を買い、そこに陣取る。
「改めてじっくりながめても、やはりまがまがしい邪気に包まれておるな」
カウンターに置いたショルダーバッグから、トウタも顔を出してガラスの向こうを見つめる。
「ねえ、あのビルにどこか弱点とかないの?結界がそんなに強くなくて、トウタの使い魔でも入れそうな個所とか」
わたしは、コンビニに出入りする客からはわからない よう、トウタの頭に花柄のハンカチを乗せる。
「う〜〜〜む、見る限り、そのような付け目はないな。あの結界は、一度でできたのではなく、長い時間をかけて、何層も上からおおい重ねるようにして作られておる。手間をかけたその力の源は、人から吸い取った精気のほかにも何か別の、天馬とは異なる強い〝気〞が加わっているようにも思える」
「それ何なの?」
「結界のせいで、ようわからぬ。やはり、あの建物の内部へじかに入り、くまなく見て回るしかないのう」
わたしはため息をつき、再び天馬ビルに目をやる。
「あ!」
建物の前に、一台のキッズ用マウンテンバイクがとまった。
乗っているのは…… 。
「渉くんが…… 来ちゃった!」
「マオ、あの少年が渉なのか?」
「そう、相羽渉くん!まちがいない!」
「なるほどな、ここからでもようわかる。あの少年が体から発しておる精気は、ことのほか強く、美しい。天馬に見初められたのじゃな」
わたしには見鬼の力があるようだけど、人が体から出すオーラは……… どれだけ目をゴシゴシこすっても見えない。
「そんなこと言ってる場合じゃない。渉くん、あのビルに入るつもりだよ!」
「天馬とつながっておる芸能事務所の者にうまくそそのかされて、わざわざ自分から来てしもうたのであろう」
「だから、止めなきゃ!」
わたしは、ショルダーバッグのストラップをひっつかみ、コンビニを飛び出た。
「おい、マオ、どうする気じゃ!あの少年は、まだ何も知らぬのじゃぞ!」
「だから、今すぐに教えてあげなきゃいけないんじゃない!放っておいたら、渉くんまでオーラを吸い取られちゃう!」
「こら、バカ正直にまことのことを出し抜けに話してはならぬからな!」
「わかってるってば!それより、バッグから顔出しちゃダメだよ!」
トウタの頭をバッグに押し込み、わたしは渉くん方へ向かう。
車道を小走りで横断しながら、「相羽くん!」と呼ぼうとして「あ!」とだけ叫んだわたしに、自転車のキーをかけ終えた彼が振り向いた。
渉くんの目の前に立ち、盗み見るような横目からじゃなく、初めて真正面から彼を見た。その容姿はもちろんだけど、彼のまとっている空気のようなものは、やっぱりさわやかで素敵に感じられる。
「君…… は …… 児童館の図書室にいた?…… 」
記憶をたどるような表情で応えた渉くんに、わたしはドギマギしつつ大きくうなずいた。
わたしのこと、おぼえててくれたんだ!
うれしくて、舞い上がるような気持ちの中で、とにかくわたしはまず名乗ろうとした。
「あの……… わたし……… あの……… 」
言葉が詰まっちゃったのは、舞い上がったからだけじゃない。わたし、普段は誰とでも気軽にしゃべれるのに、昔から好きになった相手にだけはまともに話ができない。面と向かうと必ず頭が真っ白になって、いつもとは正反対の無口な子になっちゃう。
幼稚園で一緒だった同い年の譲くんの時も、小学四年生に進級した直後に産休代理で半年だけうちのクラス担任になった大石和也先生の時もそうだった。譲くんは別の小学校に行っちゃったし、大石先生は二十三歳で、大学卒業後はフリーターしてたらしいんだけど、お産で休んでた美奈子先生が復帰すると同時に役目も終わって、今どこで何をしてるのかもわからない。一度だってまともな会話もしないまま。
「あの……… あの……… 」
その後の言葉がどうしても出てこず、顔がどんどん真っ赤になっていくのも自分でわかる。渉くんは不思議そうにわたしを見つめてる。
見られてるのがあんまり恥ずかしくて、わたしは目を伏せた。
「わたしは葉月真生。君、相羽渉くんでしょ?今日は児童館じゃないの?」
いきなり、わたし以外の誰かが、わたしのすぐそばで言葉を発した。
いや、誰かがじゃなく、誰かはすぐわかった!わたしの口調をまねてはいるけど、この幼い声。しかも、わたしが下げてるショルダーバッグのファスナーは少し開いていて、その声は中から確かにした!
わたしは顔を伏せながら「トウタ!なんてことするのよ!」と声を殺してバッグの上部を押さえ込む。
渉くんは、わたしの奇妙な仕草に違和感を覚えたのかこっちの顔をのぞき込もうとした。
「うん、ちょっとこっちに用事があってさ…… て言うか、どうして僕の名前を知ってるの?」
こうなったらもうやぶれかぶれだ!どうとでもなれ!わたしは思い切って顔を上げた。
「あ…… 児童館であなたが友だちと話してる時に、そう聞こえたから…… 」
って、あれ?わたし話せてる!渉くんに向かって話してる!
その場しのぎのでまかせだったけど、ホントは竜二の電話を立ち聞きした時に名字を知ったなんてもちろん言えない。
わたしの返答を聞いて、渉くんはちょっと首を傾げた。
「君の声、さっきとなんか違うような……… 」
「それは………わたし、ちょっと風邪ぎみで声の調子が……… コホン、コホン」
わたしのおしゃべり、いつもの調子が出てきた。渉くんはわかったようなわからないような微妙な表情をしてる。
「そ、そうなんだ………でもあいつら、ぼくのことを名字で呼んでたっけ…… ま、 いいか。君はどうしてここに?」
「わたし?近くで用事があって…… それより相羽くんは、このビルに入るの?」
「え?…… あ、うん。どうってことない用件なんだけど…… 」
あんまり言いたくないのか、渉くんは口ごもった。
ここは勇気を出して、ツッコまなきゃ。渉くんとまともに話ができたことで、いつもの頭真っ白状態はもうどこかに吹き飛んでしまっている。
「ここ、テレビで人気の天馬冬樹のビルだよね。芸能事務所のスカウトの話と関係があるとか?」
「えっ!何でそんなことまで知ってるの?」
渉くんは、明らかに動揺してる。
「図書室で友だちと話してたじゃない。芸能事務所にスカウトされたって。聞くつもりはなかったけど、近くに座ってるんだからどうしても耳に入ってきちゃうよ」
「あ…… そっか。あいつら、声がでかいからな。昨日、遊びに来いって言われてた事務所に行ったら、新しいドラマの子役をやってみないかって言われてさ。そういうの、ぼくは元々あんまり興味ないし、うち、今一緒に暮らしてるのはおじいちゃんとおばあちゃんだけだから、二人ともよくわかんない業界のことは心配するだろうし…… 断ろうとしたら天馬さんの話になって」
「どうしてそこで天馬さんが出てくるの?」
「そこの芸能事務所と天馬さんは昔から深い結び付きがあって、ぼくの心配事に対する解決法や、もし芸能界に入った場合の未来を、特別にタダで鑑定してもらえる手はずを整えてるから、このビルに行ったらどうだって。返事はその後でもいいじゃないかって、なんとなく納得させられちゃったんだ。普通の人が天馬さんに診てもらうには、何十万ものお金がかかるらしいから、これはこれでラッキーなのかな、って」
ダメだ!渉くんは、しぶしぶここまで来てるどころか、どちらかと言えばこのビルで天馬に会うのを楽しみにしてる。どうにかしなきゃ!…… だけど、どうやっ て …… 。
「それじゃ」と背を向けようとする渉くんに、わたしは「あのっ!」と呼び止めた。
「ん?」
「あの…… えっと…… 平将門!」
「平将門……知ってるの?」
「わたし、日本の武将がすごく好きで…… 平将門って言えば、武士の起源にあたるような人らしいじゃない?相羽くん、図書室でその人の本読んでるのが見えたから…… 将門のことを教えてちょうだいよ!」
「そりゃ、いいけど…… じゃ、明日とか児童館に来る?」
「明日じゃなくて、今!今教えてほしいの!」
「今はムリだよ。これから、天馬さんに会わなきゃいけないんだもん。時間だって午前十一時からって、予約までされちゃってるし…… 」
そう言った渉くんは、ズボンのポケットから取り出したスマホに目を落とし、「わ、もう時間だ」とつぶやいた。
「でも、結局は芸能界に入るの、断るんでしょ?それだったら、天馬さんに手間をかけさせちゃうの、悪いよ」
「そりゃそうだけど…… 会ってもらう約束しちゃったから…… 約束は約束だし」
時刻が表示されているスマホの画面をわたしに見せ、渉くんは肩をすくめた。
適当な理由じゃ、彼を止められない。わたしははがゆい思いを、もうどうにもガマンできなくなった。
「このビルに入っちゃダメだよ!天馬にも会ったらダメなんだって!」
つい口をついて出た言葉にトウタがびっくりしたのか、ショルダーバッグの中がごそりと動いた。
「はあ?君、何言ってるの?」
渉くんは、あきれたような表情でわたしを見る。でも、ここまできたら、もう後へはひけない。
「まだきちんと説明できないんだけど、天馬は相羽くんにひどいことをしようとしてるの!だから、会いに行っちゃいけない !」
「どうしてぼくが、天馬さんにひどいことをされなきゃなんないの?訳わかんない。天馬さんは、ぼくとまだ一度も会ったことないんだよ。そんな他人に、一体何をするって言うんだい?」
「だから、それはあなたの精気を…… 」
わたしがもう一歩踏みこんで話そうとした時、横合いから「よお、相羽君」という声が割って入った。
芸能事務所の竜二だ!ビルの横を見ると、昨日と同じ黒いバンが、いつの間にか駐車場にとまっている。
「ビルの前で待ち合わせようって言ってたのに、遅れて悪い、悪い」
昨日と同じチャラチャラしたノリでやってきた竜二は、渉くんの横にいるわたしを見て「ん〜?」とうなった。
「あれれ、昨日ビルに入ってきた子じゃん。相羽くんの友だちだったのかい?」
「ちがいますよ。友だちなんかじゃないです。さっきから変なことばっか言って」
「変なことって、何?」
「こいつ、天馬さんが悪い人だって。ぼくに危害を加えようとしてる、なんて言うんだ」
「はあ〜〜〜?おじょうちゃん、どういうこと?」
急に真顔になった竜二は、一歩、二歩とこっちに詰め寄ってきた。
恐くなったわたしは、思わず後ずさりする。縁石にかかとが当たり、その後ろはもう車道だ。
そこを、まさに大きなトラックが通り過ぎようとしていた。
危ない!これじゃ、逃げられない。
さらに迫ろうとした竜二のうでを、渉くんがつかまえた。
「ねえ、奥山さん、こんなの放っといて、天馬さんのとこへ行こうよ。時間がもう過ぎちゃってる!」
「お、そうだな。天馬先生を待たせちゃいけねえ」
竜二は、わたしをキッとにらみつけた後、渉くんの背中を抱くようにしてビルの中へ入っていった。
渉くんを…… 怒らせてしまった。でも竜二を止めてくれたのは…… ひょっとして、わたしを助けてくれるつもりで?…… って、まさかそんなはずない。わたし、 きっときらわれたんだろうな……… それもすごく。
「たわけじゃのう〜〜。何も知らぬ者にあのようなことをまともに言えば、通じる話も通じぬのは当たり前じゃ」
トウタが、ショルダーバッグから顔を出す。
「だって、もう入ろうとしてたんだから、しょうがないじゃない!それより、渉くんを助けなきゃ!わたしたちも中に入って…… 」
「玄関から入っても、すぐにつまみ出されるだけじゃ」
「じゃ、裏口!ビルにはよく外階段とかもあるし!」
わたしは建物の背面を確認するため、駐車場の奥へと走った。
しかし、ビルの裏側には裏口も外階段もなく、ガラス張りの壁面が太陽の光を受 けてキラキラと光っているだけだ。
「こうなったら、ダメもとで玄関から入るしかないわ。鑑定ルームへ一直線に飛び込んで、とにかく渉くんを天馬と二人きりにさせないようにしなくちゃ…… 」
「待て、マオ。行き当たりばったりでは、後が続かぬ」
「待ってるうちに、渉くんの身が!」
ビルの玄関前まで移動し、あせるわたしの視界のすみに入ったのは、こっちへ歩いてくる女性ばかりの集団だった。二十代から三十代くらいの女性ばかりで、五十人ほどいる。
最年長っぽいメガネの人が先頭に立ち、手に文字の印刷された小旗を持っていた。
「東京パワースポット巡りウオーキングツアー」
こんなツアーがあるんだ…… 。パワースポットって、スピリチュアルブームから生まれた言葉だったっけ。行けば運気が上がる神社やお寺や自然の中にある特定の場所で、大人の女性の間ですごく人気になってる。この人たちもその愛好者か …… 。
「この近辺で最強のパワースポット、神田明神まで歩いてあと少しですが、皆さんの目の前にあるこのユニークな形のビル、これこそがスピリチュアルファンで知らない人はいない、未来鑑定家・天馬冬樹さんの自社ビルなんですよ〜〜」
ガイド役らしき女性からそう聞いた参加者たちは一斉にスマホをかかげ、記念撮影を始める。
玄関前で突っ立っているわたしに、ガイド役が顔を寄せた。トウタはとっさに顔を引っ込める。
「あなた、鑑定してもらいに来た人のお子さん?」
わたしが首を横にふると、ガイド役が急に白い歯を見せた。
「じゃ、まさか、天馬さんの親せき?まさかまさか、プライベートをずっと非公開にしてる天馬さんの娘さんとか?」
こうたずねられて、わたしはひらめいた。スピリチュアル、霊的なものに強い関心のある人たちのツアー客なら、きっとうまくいくはず!
「まあ、家族で関係者みたいなもんです」
まさにぬけぬけと、わたしはそう言い放った。
「家族で関係者って、どういう?」
好奇心で目をらんらんとさせるガイド役の質問には答えず、わたしは声を一段と張り上げた。
「天馬冬樹ビルの前をちょうど通りかかった皆さんに、とてもラッキーなお知らせがありま〜す!」
スマホでの自撮りに熱中していた参加者たちが動きを止め、こちらを注目する。
「今、先着順で五名様に限り、天馬冬樹の鑑定を無料にて実施いたします!早い者勝ちです!玄関から入って奥にある鑑定ルームに入った方、先着順で五名限りですよ!さあ、お早く、お早く!」
わたしは左手を玄関に向けて上げ、どうぞという仕草をみせる。
「マジで?」「天馬さんにタダでみてもらえるの?」「ウソでしょ〜〜?」
女性たちが、疑わしそうにわたしの前に集まってきた。
もう一押しが必要だ。
「皆さーん、わたしについてきてくださーい!」
そう言ったわたしは、先頭を切って玄関から中に入り、受付に直進する。
待合フロアにはだれもいなくて、受付にいたおねえさんはキョトンとしてわたしを見つめる。
「昨日のおじょうちゃん…… 」
わたしは受付台にショルダーバッグをどんと置き、開け口をおねえさんに向ける。
「トウタ、顔を出して!」
ひょいと首を上げたトウタと、おねえさんの視線が合う…… と見る間に、彼女は 「ヒッ」と小さな叫びを発して気を失い、その場で脱力したように倒れこんだ。
わたしはくるりと体の向きを玄関の方へ変え、おじおじと中に入ってきたツアー客たちに鑑定ルームを指さした。
「先着五名までの無料鑑定はこちら!しかも、先着二十名までは、天馬冬樹の直筆サインももらえちゃいます!早い者勝ちですよ〜〜〜 !急いだ、急いだ〜〜〜〜〜 !」
それまで遠慮気味にしていたツアー客たちも、この一声に背中を押されたのか、 ドッと鑑定ルームへと押し寄せた。
わたしはショルダーバッグを引っつかみ、この集団にまぎれこむ。
鑑定ルームは卓球台を三台並べら れるほどの広さだった。暗い照明の下にテーブルを挟んでイスが一脚ずつあるだけで、壁も天井も床も黒一色で統一された窓のない殺風景な空間だ。
ここに天馬、渉くん、竜二の三人がいたようなんだけど、にわかに五十人もがなだれ込んできて、部屋の中は大混乱におちいった。
「先生、私が一着ですから、一番に鑑定を!」
天馬にすがりつい ているのは、ガイド役だ。
「私、二番目に入りました!」「こっちは五番です!」「何言ってんの?私が五番よ!」「二人とも私たちより後じゃないの、ずうずうしい !」「一体だれが先着順のジャッジをしてくれるの?」
天馬は人の波で奥の壁に押しつけられ、周囲で女性たちの怒号が飛びかう。
「あなたたちは一体何なのよ!やめなさい!やめなさいってば!
抗議する天馬の声は、彼女らの大声でむなしくかき消された。
「サイン お願いします!」「私にもサイン を!」「ちょっとあなた、私のクツを踏まないでよ!」「踏んだのはそっちでしょ!」
部屋の中は押しくらまんじゅう状態で、天馬と少し離れた壁では竜二も「押すな、押すなーー !おれは天馬先生じゃないっつーの!」とあえいでいる。
わたしは人ごみをかきわけ、ぼう然と立っている渉くんの手をにぎった。
「こんな所にいたら、もみくちゃにされるわよ!行きましょ !」
「お、おぉ…… 」
わたしは渉くんの手を引き、押し合いへし合いしながら部屋を脱出する。
チラッと後ろの方を振り返った時、たまたま視界が開け、奥で女性たちを落ち着かせようと両手を上げてなだめている天馬と視線がぶつかった。
よく聞こえなかったけれど、その口の動きから、わたしに向かって「おのれー!」と叫んだように思えた。
いい気味だわ。渉くんの精気を吸おうなんてするから。こういうのを自業自得って言うのよ!
天馬の視線を振り切り、わたしたちが待合フロアに出ると、意識を取り戻した受付のおねえさんがフラフラと立ち上がりつつあった。
わたしはそのまま渉くんを引っ張って、ビルの外に出る。
「あの女の人たち、何なんだ?これじゃ、また出直すしかないよな。天馬さん、大丈夫かなぁ…… 」
とつぶやいた渉くんが、まだつながったままの手に目をやった。
わたしはそれに気付いて、サッと手を引く。
ほおが赤くなってるかも。それを取りつくろうために、わたしは口を開いた。
「あの人なら大丈夫だよ。それより、部屋の中で変なことされなかった?天馬に体をさわられなかった?」
「また、それかよ。まさか、今の騒ぎ、君がやったんじゃ…… 」
渉くんは、あからさまにイヤな顔をする。
でも今は、そんなの気にしてられない。
「これは大事なことなの!どうなの、さわられた?」
「そんなことされないって」
「部屋に入ってから、何があったの?」
「あのさ、やっぱ君、サイコなんとか?」
「何よ、サイコなんとかって?」
「ちょっとおかしいんじゃないかってこと、ここが」
と渉くんは頭を指でついた。
「わたしは大まじめで言ってるのよ!」
「だったら、かなりヤバイって。早くお医者さんに診てもらった方がいいぞ」
「もう!わたしはあなたを心配してこんなに…… 」
まるっきりわかってもらえない。それは当然だ。逆の立場なら、わたしだっ て …… 。でも、これは夢でも、デタラメでもない。渉くんにとって、ある種の危害が加えられようとしているのは間違いないんだから!
「心配してくれるのは、ありがた迷惑!もう二度とぼくの前に現れて、話しかけたり、ちょっかい出したりしないでくれる?」
冷たい表情でぴしゃりと言い切った渉くんは、ビルの前にとめた自転車のキーをはずして、ハンドルをつかんだ。こうなったら、もっとはっきり言わなくちゃ !
「相羽くん、ちゃんと聞いて!天馬は人のオーラ、目に見えないエネルギーみたいなものを吸い取ることができるの!あなたも彼にねらわれてる!だからもう、このビルに来ちゃダメだし、天馬に会ってもいけない!」
必死に訴えるわたしを完全に無視して、渉くんは自転車ですーっと離れていった。
その背中はどんどん小さくなり、やがて角を曲がって消えた。
ミッションは、最悪の結果に終わった。渉くんにちゃんとした警告を与えられず、しかも二度と話しかけられない状態にまできらわれてしまった…… 。
ただ、ここでしょんぼり落ち込んでいる場合ではなかった。
ビルの玄関から、ツアー客たちが追い出されてきたからだ。
「鑑定するって言っといて、なによ!」「サインもしてくれないなんて、ひどい!」「話が全然ちがうじゃない の!」「中に入れってさそったのはそっちでしょ!」
彼女らは、奥にいる天馬にはげしく抗議している。
今はみんなこっちに背中を向けているけれど、この人たちに見つかったらすごく面倒なことになりそうだ。
わたしはすぐさまその場を去り、自転車を置いた川沿いの広場まで走る。
走りながら、悲しくて、情けなくて、まぶたが涙であふれるのを止められなかった。