三重県四日市市 鵜森神社へ行ってみた!
第 3 回 「鵜森神社と浜田城跡」
ライター:さいとうゆめか
【特別編!三重県四日市市 鵜森神社へ行ってみた!】
みなさんこんにちは!
「歴史初心者ブログ」でもおなじみのライターゆめかです♪
旅ブログ3回目!
今回は、栃木を飛び越えて!栃木の武将『藤原秀郷』由縁の神社を実際に足を運んでみて、みなさんに紹介したいと思います!
■鵜森神社?へレッツゴー!
早速!今回足を運んでみたのは三重県四日市市にある「鵜森神社」です!
鵜森=うのもり
と読みます♪
でも、またまたなんでいきなり三重県へ?とみなさん思われると思います!
個人的に鵜森神社へは三重県に住んでいた時に、散歩でよくお参りに行っていたので、
その情報を栃木に帰ってきて最近初めて知った衝撃は大きかったです。。。
ということで、思いきって栃木を飛び出し三重県へ行ってまいりました!
神社の場所は近鉄四日市駅から徒歩3分程ととても近いです♪
迷うことなく神社へ。
散歩していた当時は、神社の由緒書きや鵜森神社自体について詳しく理解していなかったので、今回はガッツリ気合を入れて学ばせて頂きました。(ぺこり)
■神社に城跡???
先ずは、由緒書き…?かと思いきや、
「浜田城跡碑文」を発見!
書いてあることをジーっと読んでみました。
つまり!
鵜森神社が今ある場所に「浜田城」という城が建っていた?!ようなのです!
そして、その浜田城の主「田原家」が鵜森神社を崇拝していたようです!
この「田原家」ですが、ん?田原?聞いたことがある名前ですね…!!
田原家の初代城主は田原美作守忠秀という人物で、彼の先祖を辿っていくと…(ふむふむ)
田原(足利)又太郎忠綱につながります!
◀︎そうです!この武将です!
「足利忠綱」といえば、歴史初心者ブログでもつい最近紹介した、栃木県足利市の武士でなのです!!!
▼歴史ブログへはこちら♪▼
過程は詳しくはわかりませんが、
足利忠綱は姓を変え?田原(足利)又太郎忠綱と名乗り
三重県へ移住していたかもしれないのです!(※歴史初心者発言です)
足利忠綱は、藤原秀郷の子孫でもあり、
その忠綱の子孫が代々浜田城を築いていたようです!
藤原秀郷を中心に歴史を遡ってみると、
なんだか、栃木県と三重県の不思議で密接な関係を見つけた感じがしました。。
■十六間四方白星兜鉢とは一体なに?!
「十六間四方白星兜鉢」=じゅうろっけんしほうしろほしかぶとはち
兜といえば、ツノが生えてる豪華なものを想像しますが、この兜が一番最初にできた兜だと言われているようです!
この兜といえば、栃木県宇都宮市の二荒山神社にも奉納されている「三十八間星兜」を思い浮かべます!▼▼
よく見ると、頭の点の数?大きさ?が違います。。。(むむむ!)
これは、鵜森神社の責任者で今回神社を案内してくださった優しい加藤さんにお話を伺ったところ、点の数が少ないほど古いとのことなのです!
宇都宮の二荒山神社の「三十八間星兜」よりも、
鵜森神社の「十六間四方白星兜鉢」の方が古いもののようですね!
そして、鵜森神社に奉納されている「十六間四方白星兜鉢」は藤原秀郷が滋賀県近江の大ムカデ退治をした時に琵琶湖の龍神から贈られたものと伝えられているようです♪
また、秀郷の末裔で、浜田城の主でもある田原家の家宝だったようです。(ふむふむ)
また一つ栃木のヒーロー秀郷に関する知識が増えましたっ☆
▼鵜森神社についてもっと知りたい!▼
はい!では、今回は特別編ということで、内容が盛りだくさんなので、
2部に分けてお送りしたいと思います!
もうこれだけでも盛りだくさんではありますが、まだまだご紹介することが山盛りなので、
次回へ繋げたいと思います♪
では、次回の旅ブログもお楽しみに~☆(^ ^)
【鵜森神社へのアクセス】
住所:〒510-0074 四日市市鵜森1丁目13-6
アクセス:車の場合→東名阪自動車道「四日市IC」から車で約25分
電車の場合→ 近鉄名古屋線「四日市駅」から徒歩で約5分
駐車場:駅周辺にあり
▼三重県 四日市市 鵜森神社のHP▼
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