【第50回】 鎌倉殿の13人特集!源義経ってどんな武将? (2021年2月28日 更新)
はじめての歴史ブログ 第50回
ライター記者:ゆめか
みなさんこんにちは!
前回のブログでは、現在放送中のHNK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、常に源頼朝と行動を共にしている「安達盛長」という武将につい、歴史初心者目線で書いてみました!
▼前回【第49回】「鎌倉殿の13人」の一人 安達盛長▼
では!今回のブログに参りましょう!
今回は、予定を変更して、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で今話題沸騰中の「源義経」について、みなさんと一緒にみていきたいと思います!ドラマの中では、実力派俳優の菅田将暉さんが演じていることから、ますます人気を増している必見武将です♪今回も、歴史初心者目線でみていきたいと思います!それでは、レッツゴー!
■源義経ってどんな武将?
みなさんは、「源義経(みなもとのよしつね)」という人物を
どれくらい知っていますか?
正直私は…歴史が本当に苦手で…
中学校の時に教科書で見た覚えがあるなぁ…というくらいでした。。(汗)
でも、「源」ということは、あの源頼朝と繋がりがありそう!
そして強そう…!というイメージでした。。
源義経がどんな武将だったのか、全く知らなかった(に等しい…)ので
この際きちんと調べようと思います!!!(ぺこり)
そこで!いつものように、歴史をよく知っている岡ジィに
ゼロから教えてもらうことにしました!
■源義経と源頼朝の関係
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中心人物でもある「源頼朝」。
みなさんも、もちろんこの武将はご存知かと思います!
日本で初めて「武家政権」(武士が中心の政権)を確立し、
鎌倉幕府を開いた人物ですね♪
岡ジィによると、頼朝には8人の兄弟がいたようなのです!
そして、そのうちの1人が「源義経 みなもとのよしつね」とのことです!
(義経は頼朝の弟だったんですね!)
ドラマでも紹介されているように、
元々頼朝と義経は、当時権力を握っていた平家に家族を滅ぼされ、
幼いながらに家族を失い、流罪となり、地方へ流されました。。(…)
当時13歳だった頼朝は、伊豆(蛭ケ島 ひるがしま )に流されましたが、
義経は7歳で「鞍馬寺(くらまでら)」という京都のお寺に
預けられたとのことなのです!
では、義経はどんな人物だったのでしょうか..?
■義経の性格
岡ジィによると、
義経は、子供の頃からわんぱくだったようで、
お寺では、仏教で太陽を意味する「遮那王(しゃなおう)」と呼ばれていたようです!
それぐらい元気な子だったのですね…!(ふむふむ)
その元気の良さから、「武士」として育て上げられたとのことです。
行動派の義経は、その後お寺を出て、
奥州(今の岩手県平泉町)へ行ったとのことです!
(なるほど!だから義経はドラマでも奥州にいたんですね!)
でもなんで奥州へ?!
▼源義経について詳しく知りたい方はこちら!
■奥州の名門「藤原清衡」のもとへ
当時、奥州の平泉には、栃木の武将『藤原秀郷』の子孫
「藤原清衡(ふじわらのきよひら)」がいました。
【坂東武士図鑑】で調べてみると…
清衡自身は武力があるものの、武士というより貴族より?だったようですね!
平泉という土地に煌びやかな
黄金の国「平泉文化」を生んだことでも有名なのですね!
黄金の国!とまで言われた平泉は、
金や馬などが豊富にあり、とても裕福な場所だったとのこと。
そして、武力のある武将たちがその地を治めていたことから、
(ここから、歴史初心者の個人の想定ですが…)
おそらく!平家のいる京都から一番離れた
安全な土地で、源氏側だった奥州の藤原清衡の元へ行ったのでは…!?
と勝手に想像してしまいました。。
果たして、どうして義経は奥州へ行ったのでしょうか…!?
▼藤原清衡についてもっと詳しく知りたい方におすすめのページ!
▼源頼朝について詳しく知りたい方はこちら!
はい!ということで、今回のブログはここまでとします!
いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!
では!次回のブログでお会いしましょう~♪
今日の+α☆
源義経は頼朝の弟!
▼▼坂東武士たちを図鑑でチェック▼▼
▼ 下のタグから共通記事・ページをご覧いただけます♪ ▼
Comments