【第52回】「鎌倉殿の13人」源頼朝への藤原秀郷の影響力。 (2022年5月14日 更新)
はじめての歴史ブログ 第52回
ライター記者:ゆめか
みなさんこんにちは!
では!今回のブログに参りましょう!
今回は、歴史初心者/サイト編集長が今どうしても伝えたい「藤原秀郷の源頼朝への影響」についてご紹介していきたいと思います!
■13人の1人は秀郷流!?
どんな武将たちなのか、気になった方も多いのではないでしょうか?
ドラマの中では「坂東武者」と呼ばれている彼らは、
鎌倉幕府の成立には欠かせなかったと言っても過言ではない存在です。
ちなみに、「坂東”武士”」とも言い、
坂東=関東の武士たちのことを指します!
実際のところどちらも同じ意味とのことです♪
ドラマに出てくる坂東武士/坂東武者の中で、
鎌倉殿の厚い信頼をえている「比企氏」。
佐藤二朗さん演じる「比企能員(よしかず)」や
草笛光子さん演じる「比企尼(ひきのあま)」は、
実は...秀郷流なんです!
さらに、13人のうちの
「安達盛長」
「足立遠元」
「八田知家」
3人は、藤原秀郷と同じ「藤原北家」という同じ血筋からきている武士たちなんです!!
ドラマでも活躍を見せる坂東武士たちですが、
歴史の知恵袋、岡ジィによると、
ドラマには出てこないけれど頼朝の力となった秀郷流武士たちが
沢山いたんだよ!とのことなのです!(ひょ~!)
■ところで「秀郷流」とは?
「秀郷流」と聞いて、みなさんはどんなイメージを浮かべますか?
私は…秀郷派?みたいな秀郷の考えや行動に賛同する人たちのイメージ…ですが、
詳しく岡ジィに聞いてみたところ、
秀郷流とは、
「藤原秀郷の末裔(子孫)や秀郷の考え方を受け継いでいる人々を指す」
とのこと!(なるほど…!)
私は斉藤なので…おそらく秀郷流ではないかもしれないですが…。
(くぅ…秀郷流が良かった…。(n_n..))
気を取り直して、、
藤原秀郷といえば、流鏑馬(馬に乗って弓矢を射つ武芸)が強かったことでも知られています。子孫の中にはその流鏑馬の武芸を後世に引き継いだ武士もいたとのことなんです!
■裏では秀郷流の武将たちの活躍があった。
藤原秀郷は、多くの子孫を残したことでも知られています。
その子孫の中には、鎌倉幕府成立のために頼朝の力となった武将たちもいたとのこと!
例えば、小山朝政という小山氏の武将。
小山氏は秀郷流を名乗った栃木の大豪族。
その長男の朝政は、頼朝からの信頼も厚く、朝政の家に頼朝を含めた御家人を呼び、
秀郷流の流鏑馬を一夜を通して教えたとのこと!
そのことが「吾妻鏡」という史実書に記録されているとのことなんです!(証拠を発見!)
今回はサラッとご紹介にて失礼します…
▼詳しくはこちらの記事にて♪
さらに、秀郷の子孫「佐藤義清(西行)」も
頼朝に弓馬の考えたということ。
これまた吾妻鏡の記録に残っているようです。
▼詳しくはこちらの記事にて♪
源平合戦で那須氏の那須与一が大活躍したことを振り返ると、
頼朝の周りには藤原秀郷の子孫だらけだったことが想像できます。。
まさに、藤原秀郷の頼朝への影響は大きかった!のだと思います!!!
平将門の乱を平定した『藤原秀郷』。
その強さは後世にも受け継がれ
ブランドとなり、憧れとなっていったのだな…と
勝手にいろいろ想像してしまいました。。
歴史って、おもしろいんだなぁ…。
はい!ということで、今回のブログはここまでとします!
次回は、予定通り「鎌倉殿の13人」特集として、13人のうちの一人「八田知家」について書いてみようと思います!知れば知るほど実はすごい…八田知家という武将について、皆さんと一緒にみていきたいと思います!
いつも最後まで愛読いただきありがとうございます!
では!次回のブログでお会いしましょう~♪
今日の+α☆
源頼朝、藤原秀郷の影響あり!
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