宇都宮二荒山神社 菊水祭(2024年11月1日更新)
『菊水祭』のはじまり
二荒山神社で一番大切な神事『例大祭』の付け祭となる『菊水祭』
例大祭の始まりは、藤原秀郷は平将門討伐の際に、17日間戦勝祈願を行い、神社より霊剣を授かりました。
霊剣を授かるとは帝の命となりますので、坂東を制圧し朝廷を脅かす存在となった将門を、その霊剣で討ち取り、承平の乱を平定したのが940年となります。
大願成就の祝いに、帝の謝辞を伝える勅使を迎えた祭事として1000年以上も続くのが『秋山祭』となるのです。
今回の神事でも、赤い装束の勅使が帝からの勅書を授ける神事が再現されていました。秀郷公の功績はこの地に多くの恩恵を与えたことと思います。
その後、秀郷公は下野と武蔵の国司(知事)の任命に、当時の武士の頂点となる『鎮守府将軍』の称号も授かります。
栃木や東京には、940年に創建とされる秀郷公由縁の神社が今でも多くありますので、授かった報奨にて寄進されたのでしょう。
菊水祭については、神社の説明にはこうあります。
「1673年、神のご加護で火難を免れたことを感謝して、賑わいの神事が行われ、以来秋山祭の付祭となり重陽の節句「菊祭」に行うようになって菊水祭の名称となりました。」
祭事のメインである、神社の祭神『豊城入彦命』が境内より降臨される際には、幕で隠しながら石段を下り、神輿にお乗りになります。まさに神秘にて荘厳な神事です。
その後、神輿は神幸行列にて宇都宮の街中を渡御されるのです。
全国でも希有なビルの谷間の神社で行われる美しい祭事となっています。
二日目は、爛豪華な火焔太鼓に日本武尊の山車も登場。
秋晴れに映え輝く火焔太鼓は崇高にて豪華絢爛。
山車というと彫刻屋台を思う方もいますが、人形山車や鉾のように高くつきでている曳山のことを指します。
屋台は突き出ているものがなく屋根があるものとのことです。
こちらの山車は、有志で結成された「宮のにぎわい山車復活プロジェクト」の皆さんが再生しているものです。
最盛期には81種の山車がありましたが、第二次世界大戦の空襲で多くが灰塵に帰してしまったそうです。
こうして素晴らしい山車を拝見できるのは、プロジェクトの皆さんのおかげです。
素晴らしい祭事に参加させていただき、
関係者の皆様、ありがとうございました。
ちなみに、菊水祭で披露される「流鏑馬」は、武士たちが兵法の修練のため平安時代に始めたとされています。
藤原秀郷も文武に秀でた武士で、弓術や乗馬が得意だったと言われています。
二荒山神社と藤原秀郷の由縁はこちら▼
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