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【活動報告】佐野支部フィールドワーク-2024年12月8日開催

栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会

佐野支部 長島正光




前回は12月5日の3日前。

佐野支部メンバーのフィールドワーク。

熱い仲間です!


前回のリポートはこちら▼

【佐野支部フィールドワーク】-2024年12月5日開催

 

【今回の行程】


13時 佐野市田沼アリーナ南駐車場

 ↓

13時15分 旧三好小学校郷土資料館

 ↓

14時15分 亀山喜治の石碑

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14時45分 岩崎八幡宮

 ↓

15時 お疲れ様でした


 


旧三好小学校郷土資料館

旧三好小学校の郷土資料館、お目当ては「鉄砲釜」?

麻です。麻といっても葉っぱではありません、かわ、そう皮です。刈り取った麻を湯がけする大きな釜が「鉄砲釜」です。あったあったと大喜び、それどころか皮引き迄の一連の作業道具が展示されていて「うわー!」、ちょっと引いちゃう位の麻熱量でした。

その上「これ天明鋳物?」とか、「ちょっとこっちの見て、これもそうじゃない?」

何やら文字が彫ってある半鐘に駆け寄る姿は見た目はともかく、もう子供そのものです。

その他、明治時代に建てられ校舎、展示物からは懐かしい昭和の薫りがいっぱいでした。





亀山喜治の石碑

亀山喜治の石碑ですが、亀山喜治って誰?

この碑にある亀山勇右エ門(喜治)と義兄の亀田徳三郎(宜章)は共に水戸天狗党で尊王攘夷思想に共鳴し忠義,大節のために亡くなった郷土の義士と言われていますが現実は理想とは違ったようです。明治新政府からは従五位の贈位を賜ったようですが、なんかモヤモヤが残りました。





岩崎八幡宮

さて、岩崎八幡宮ですが、元は城跡(居館跡)。文治元年(1185年)にあの足利有綱(戸矢子)が築城。

四年後に佐野越前守義基が城主となり地名から岩崎義基と改名、岩崎氏の始祖となりました(他に義持説など諸説あり)。

義基は他にも梅園城、興聖寺城などの城主も兼ねて本城、唐沢山城を支援、子孫は代々西佐野家と呼ばれ佐野宗家を支えたようです。

神社は威厳があり大小三対の狛犬、胴羽目彫刻も素晴らしい!

三面の胴羽目彫刻は、神功皇后と竹内宿祢、スサノウノミコト、黄石公と張良の古事。ご存知、八幡宮の祭神は誉田別の命(応神天皇)武運の神様です。三韓征伐の神功皇后は母親ですし他も、戦い絡みですね。そしてここの本殿に祀られている御神体は木曾義仲から伝わる応神天皇像だそうです。

紅葉も終盤、銀杏混じりの階段を下りながら義基もここを下りたんだろうなと



岩崎義基から岩崎家の話はまだまだ続きます、お楽しみに。


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