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第12回歴史さんぽ『宇都宮二荒山神社ご祈祷と​県庁周辺の蒲生君平を訪ねる』-2025年1月18日開催




栃木の歴史コンテンツの確立で地域活性化。

「栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会」主催の『第12回 歴史さんぽ』を開催してきました!

今年初めての新春企画は4部構成!

全長約5km、約一万歩。2時間半の県庁周辺に集積する蒲生君平にまつわる史跡を散策するルートです。

資料と照らし合わせながら辿っていきます!





その1/宇都宮二荒山神社での御祈祷と秀郷解説


スタートは、下野一之宮、宇都宮二荒山神社鳥居橫「Cafeフラッグス」前に集合。

雲一つ無い晴天の暖かな陽射しに恵まれたのも、皆さんお行儀良く集合いただけるからのことでしょう!

二荒山神社境内には、95段の長い石段参道を登ります。



神門右手には神社の由緒書きをご説明。

二荒山神社が現在の地に鎮座したのが平安時代の838年。

御祭神は第十代崇神天皇の子、戦勝祈願の神とされる『豊城入彦命/とよきいりひこのみこと』が祀られる歴史も長く由緒の高い神社になります。中盤にはこう記されています


「以来、平将門の乱を平らげた藤原秀郷公を始め、源義家公・源頼朝公・下って徳川家康公などの武将の崇敬を受けられました。」


戦勝祈願が成就した数々の武将の筆頭に藤原秀郷公が記されているのです。秀郷公は朝廷反乱軍となった平将門討伐時に、17日間の神社参拝を行います。参拝後、神社より天皇の命としての霊剣を授かり、その剣にて将門討伐を為し遂げます。

将門の進軍から朝廷を守った功績として、天皇の褒美が届いたのが、毎年10月21日に執り行われる神社でもっとも大切な祭事「秋山祭」となり、二荒山神社と藤原秀郷はとてもとても深い繋がりがあるのです。



神社の社務所にある宝物展示には、秀郷公が将門討伐時に着けていたと言われていた三十八間星兜が展示されています。

後の調査で南北朝時代の物とされてはいますが、それはそれで興味深い逸話でもあります。

他にも二荒山神社の祭事の由縁を記録する文書「宇都宮二荒山神社祭礼絵図」には、秀郷公が「神社より霊剣を授かる図」に「将門を討つ夢をみる図」が描かれ、祭事の伝承絵図となっています。



秀郷関連の宝物拝観のあとは、神社北門の手前にある『蒲生君平 正四位 碑』へ。明治14年に明治天皇から階位を授かった際の祈念碑です。

あらためて蒲生君平とは、江戸時代の三奇人(天才)と言われた宇都宮生まれの学者。天皇の墓である前方後円墳の名付け親でもあり、幕府全盛期に「早すぎる尊皇思想」を語ったとしての奇人とも言われます。

会津藩92万石の大大名『蒲生氏郷』の子孫とされ、蒲生氏は藤原秀郷の子孫の名門武家であり、氏郷は、そのことを強く意識し誇りに思っていた武将。名の氏郷の「郷」は秀郷を意識しての名前となっています。



そしていよいよ『拝殿御祈祷』に。

普段はなかなか入ることは出来ない厳かな拝殿に参加者総勢23名での御祈祷。神職の祝詞に続き、参加者の皆様と新年のご挨拶と秀郷公の存在が多くの方に知られることで、栃木へ日本へ寄与できることを願います。拝殿からは徳川家康寄贈の擬宝珠が目の前に。刻印は「征夷大将軍源家康」「源」です。

御祈祷を賜り、下山にて街にくりだします。



まずは正面参道を下り、赤門通りから『百目鬼通り』へ。こちらは藤原秀郷が倒したとされる『百目鬼/どうめき』退治の舞台。

今回も『百目鬼』が気になり、参加された方もいらっしゃいましたが、「百の目の鬼」とは、あらためてインパクトがありますよね!鬼滅の刃の『黒死牟』は百目鬼がモデルとされ、鬼退治に藤の花など、炭治郎のモデルも『秀郷』と言われます。

ツノと爪を置いて成仏した「百目鬼退治」のお話はこちら



・その2/県庁15階の展望台から君平史跡を俯瞰


二荒山神社で秀郷由縁の宝物拝見と御祈祷を賜り、藤原秀郷の百目鬼退治伝説が残る通りを過ぎると、栃木県庁前です。

タイミング良く苺ラッピングのエレベーターに迎えられ、東西南北、栃木県を見渡せる15階の展望フロアーへ! 



今日は日光連山に鶏頂山方面も、霞なく丸見えでした

これから巡る君平史跡コースもぐるっと眺めます。

北側から見下ろすと、すぐ側に蒲生神社。南正面には二荒山に百目鬼通り、西に桂林寺に延命院の墓石までもホントよく見えます。

県庁を後に塙田トンネル方面へ。



・その3/蒲生君平の史跡散策


トンネル入口右手、八幡山に向かう道の間に階段参道がありますが、意外と目立たない、、 こちらが大正15年?君平を称える有志にて創建された蒲生神社。



蒲生君平の功績をもう一度。

宇都宮市に生まれた江戸後期の学者。祖先が会津藩主蒲生氏郷公であることを知り福田性から、蒲生の姓を名乗った。(氏郷は藤原秀郷の子孫)

幼少より学問を好み、天皇の存在を重んじ全国の天皇陵や旧蹟を巡りて、『山稜誌』を著した。晩年は子弟に学問を教えながら、著述に励むも、志半ば、四十六歳をもって江戸に没した。


明治二年十二月、明治天皇は先生の功績を賞し、宇都宮市花園に勅旌碑が建てられ、さらに明治十四年五月正四位を贈位され記念碑が二荒山神社に建てられるる。

蒲生神社には、初代大相撲横綱『明石志賀之助』の石像も奉られ得ています。

普段通ることはない、塙田トンネル側道の急な坂道を降りて、古く立派な住宅も多い閑静な住宅地、昭和地域を抜けて、旧日光街道、清住通りの『桂林寺』へ。



1396年松ケ峰に開創し城郭拡張にて現在の清住に移転し500年。こちらと延命院は、添付した古地図にも残る由緒あるお寺です。

宇都宮の街中は、河岸段丘になっていて、桂林寺は崖の上の高台となり県庁のなどを見下ろす気持ちの良い風の通るお寺です。そんな場所に、蒲生君平のお墓があります。広い墓地の真ん中にスーッと延びた松の木の下に眠ります。 



参加者皆で参拝し、桂林寺さんを後に泉町方面へ200メートルほどに、君平の学び舎『延命院』を通り、また300メートルほどの現在の宇都宮大通り小幡郵便局が『君平生家跡』。

奥州街道と日光街道の追分に位置し、油商を営む名家の四男として生まれました。ここからご近所の延命院に通い勉学に励んだのですね。

これにて君平史跡は終了。大通りを通りスタート地点の二荒山神社鳥居橫の『sweets&cafeフラッグス』へ戻ります。



・その4/カフェ&ケーキで歴史座談会

万歩計では9,600歩ほど。70歳オーバーの方も数名いらっしゃいましたが、誰のことも気にすることもなく思ったより早めに元気に完歩!



カフェでは、本日のおさらいを当会講師の岡田さんと水野さんが熱く語り、少し冷えた体を甘いケーキとホットコーヒーで温めました。



人数も多く長い列となりましたので、説明の声が通りにくい場所も有ったかとは思いますが、ご参加の方はこちらで復習を

ともあれ、天候に恵まれ、健康的に栃木の偉人を学ぶ機会となりました。



栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会

では、定期的に藤原秀郷をはじめ栃木の歴史を学ぶイベントを開催しています。

ご一緒に「栃木の歴史コンテンツの確立で地域活性化!」を進めませんか! 

会員の募集

お待ちしております!

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