藤原宗円 ふじわら そうえん
No.6
【藤原宗円】
ふじわら の そうえん
Fujiwara no Souen
文武に秀でた武士であり僧侶でもある宇都宮氏の初代当主。鎌倉幕府の源頼朝・頼家親子に頼りにされた北関東の中心的存在。
【別称】宇都宮宗円 宇都宮兼綱
【時代】平安時代後期
【生年】長元6年1033年(または長久4年1043年)
【没年】天永2年1111年
【氏族・血族】藤原北家道兼流宇都宮氏
下野宇都宮氏初代当主/宇都宮城を築城したと言われている。
【父】藤原兼房
【妻】紀正隆の娘
【子】八田宗綱(養子・妻の紀正隆の娘の連れ子)
【在所・所領】下野国宇都宮
【墓所】日光山輪王寺/栃木県宇都宮市下荒針町の宗円塚
栃木県宇都宮市新里町のオカザキ山/栃木県益子町上大羽の地蔵院(旧尾羽寺)
【所縁の場所】宇都宮市新里町の日枝神社/宇都宮二荒山神社/宇都宮城址/宇都宮多気(田下)城址/さくら市勝山城址
藤原宗円は、藤原秀郷と同じく藤原鎌足直系の名門貴族。
平安中期、一条天皇の摂政として勢力を持っていた藤原兼家のひ孫、藤原兼房の次男という名門。
■ 宇都宮市指定文化財 不動明王
永承6年1051年、陸奥で勢力を誇っていた豪族安倍氏が朝廷に反抗、これをおさえるために朝廷は、源頼義・義家父子を陸奥守として派遣した。この時、戦勝を祈祷する僧侶として宗円が同行し、氏家郷勝山(さくら市氏家勝山)にとどまり、戦勝祈念の祈祷をした。
この時に祈った不動明王を、康平6年1063年に多気山に祀り、田下城(多気城)を築く。この不動明王が、現在多気のお不動さんとして宇都宮市民に親しまれている多気山持宝院で、ご本尊の不動明王は宇都宮市指定文化財になっている。
■ 宇都宮城の城主
宗円は、もともと石山寺(一説に現在の大谷寺)の座主であったとも言われ、仏法を背景に勢力を拡大したと考えられている。
その後、日光山輪王寺の住職や宇都宮の寺社寺院をとりしきり、宇都宮城を築城し城主を命じられる。
また、歴史学者・野口実氏の説によれば、宗円は藤原道長の二男・頼宗のひ孫ともいわれる。
野口氏によれば、『中右記』に園城寺(三井寺)の僧侶に「宗円」という僧侶が登場することを指摘し、それを根拠として道長の二男・頼宗の孫の藤原俊家の子で、園城寺の僧とする説を提示している。
園城寺は、「吾妻鏡」において前九年の役の際に祈祷の功績があったと主張しており、宗円が園城寺出身であるとすればその主張を裏付けることになる。
また、建保2年1214年に火災で焼失した園城寺と山王神社を再建した際、宗円の四代後の孫・宇都宮頼綱が山王神社の再建を一手に引き受けており、宇都宮氏と園城寺の間には強い結びつきがあったと思われる。
宗円は宇都宮氏の祖先であるばかりでなく、八田氏、小田氏、氏家氏、塩谷氏、など多くの氏族の祖先となり、その勢力は、下野国だけでなく常陸にまで及んだといわれている。
宇都宮市新里町の日枝神社に伝わる宗円獅子舞は、宗円ゆかりの伝統舞で毎年2回奉納される。宇都宮市指定無形文化財。
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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