【第5話】母性愛か先物買いか? 頼朝支えた比企尼 (2022年3月11日 投稿)
水野先生コラム:5回目
源頼朝は20年間、流人として伊豆で忍従の時を過ごしますが、その生活を支えたのが比企尼です。比企尼は頼朝の乳母(めのと)なので、一族は源氏旧臣だったはずです。比企氏も秀郷流藤原氏。藤原秀郷の子孫です。このように頼朝を支えた秀郷の子孫は多士済々なのです。
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■流罪の頼朝に仕送り…娘は側近に嫁がせる
比企尼は実名不明。比企氏当主であった夫の死後、尼となって「比企尼」と呼ばれたのでしょう。夫は比企掃部允(かもんのじょう)。掃部允は役職で、こちらも実名不明ですが、系図などの比企遠宗が該当するようです。
『吾妻鏡』には、1180年(治承4年)、平家の有力家臣、藤原忠清が「北条時政と比企掃部允が頼朝を立てて反逆しようとしている」との情報を伝え、大庭景親が「北条の意図は知れませんが、比企掃部允は既に死んでいます」と応じる場面があります。比企氏はいざとなれば頼朝に従うと周囲からみられていたのかもしれません。
さて、比企尼ですが、流罪となっていた頼朝に仕送りを続けて生活を支えます。しかも、それだけではありません。
長女、丹後内侍は安達盛長の妻。盛長は流罪中も頼朝の側近として仕えた武将です。婿夫婦が流刑地での生活をともにする、これ以上ない支援態勢。育ての親、乳母として苦しいときこそ支援したいという母性愛か、頼朝の将来性を見越してのことか、いずれにしても思い切った比企尼の忠節ぶりです。
流刑地での頼朝ですが、牢獄につながれていたわけではありません。『曾我物語』では「そばを離れない2人の武士」として安達盛長と小野成綱、さらに舎人(とねり、使い走りのような従者)の鬼武が登場します。貧乏とはいえ、貴人としての体面は保つだけの待遇は受けていました。
行動も多少は自由で、武士たちの娯楽兼武芸鍛錬である狩りを見物することもありました。なお、事件にも巻き込まれていて、伊豆・奥野の狩りの帰り道に起きたのが曾我兄弟の実父・河津祐通の暗殺です。
■頼朝監視役を取り込む 比企尼三女は伊東氏に嫁ぐ
比企尼の〝婿取り作戦〟は安達盛長だけではありません。次女は河越重頼に嫁ぎ、後に河越尼と呼ばれます。河越氏は武蔵の有力武士で源氏旧臣。流人時代の頼朝を支援したのでしょうか。ただ、1180年の頼朝挙兵時は当初、同じ秩父一族の畠山重忠らとともに平家に従いました。その後、頼朝が関東を制圧し始めると、いち早く頼朝方に転じました。河越尼の娘・郷御前は源義経の正妻で、ここでも比企尼人脈と頼朝との密接な関係がうかがえます。
比企尼三女は伊東祐清の妻。祐清は頼朝の監視役である伊東祐親の次男。比企尼としては、監視役父子を取り込む戦略だったのでしょうか。祐親の娘・八重姫は頼朝と恋仲になり、千鶴丸を生みますが、これを知った祐親は平家の目をはばかって幼い千鶴丸を殺害。さらに頼朝奇襲を企てます。祐清は、これをいち早く頼朝に知らせ、頼朝は難を逃れます。
祐清の機転は比企尼の狙いがズバリ的中したと思うと、祐清のみならず、比企尼も頼朝にとって命の恩人です。
なお、祐清の兄は、奥野の狩りの帰り道で工藤祐経の手先に討たれた河津祐通で、曾我兄弟の実父。伊東祐親、河津祐通父子が狙われ、祐親は軽傷で済みましたが、祐通は落命しました。
祐親、祐通父子と祐経は親族で、祐経も流人時代の頼朝と親交がありました。曾我兄弟の敵討ちの標的となる祐経ですが、親族間の領地争いでは、頼朝は祐経に同情的だったのではないでしょうか。
■養子・比企能員は2代目頼家の後見人
比企尼の功績が認められ、比企一族は頼朝に優遇されます。
養子として比企のあるじとなった比企能員は頼朝嫡男・頼家の養育係となります。いわば頼家の後見人。しかも比企尼の次女、三女、能員の妻が頼家の乳母。さらに能員の娘は頼家の側室と、頼家の周りは比企一族でがっちり固めます。頼朝からの代替わりで比企氏はいよいよ大繁栄……。
比企尼もそんな未来予想図を描いていたかもしれません。
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