〈桜×秀郷〉特別コラム「とちぎの桜。秀郷も西行も与一も見た!」
【とちぎの桜。秀郷も西行も与一も見た!】
弥生3月になると、日も伸びて陽射しも暖かくなり気分も少しずつ解放されるような気がしてきます。
そして例年、桜の開花日が気になる時期でもあります。私が子供の頃は、桜といえば4月のはじめの入学式や始業式の頃に咲くものでしたが、最近は3月下旬には開花するようになりました。地球温暖化の盛況なのでしょうか、季節も時代で変化している様です。
私が住んでいる宇都宮周辺や栃木県内には、花見の名所がたくさんあります。近年有名になってきた桜の名所も多いですが、昔から時代を越えて名木と言われてきた桜もたくさんあります。
その名の「西行(さいぎょう)」というのは人名で、藤原秀郷の子孫の佐藤義清(さとうのりきよ)という武士の出家名です。佐藤義清は、京の鳥羽院を警備する北面の武士に選ばれるほどの武勇に秀でた武士でしたが、訳あって若くして出家し歌人として全国を行脚しながら歌を詠んだと言われています。また、現在NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の源頼朝に弓馬術を指南したことでも知られています。(吾妻鏡より)
西行は、大田原の法輪寺には保延年間(1140年前後)奥州平泉訪問の帰りに立ち寄り、この名桜に案内されたといわれています。その時に
「盛りには などか若葉はいまとても 心ひかれる糸桜かな」
と詠み、それ以降、この桜を「西行桜」と呼ぶようになりました。
西行は、2度目の奥州訪問の帰りに再度大田原の立ち寄り、西行と同様に秀郷の子孫である那須与一と会ったといわれています。西行69才、与一17才のこの対面では、与一の屋島での扇の的を射落す名射が話題になったのかもしれません。
屋島の戦いについてはこちら▼
現在の西行桜は、もちろん当時の桜ではなく、蘖(ひこばえ)といわれる当時の子孫の桜ですが、それでも古木には違いなく、樹勢が衰え花付きが悪くなってきているそうです。そのため、地元では樹勢回復の処置を施すための活動を組織し、広く協力を求めているそうです。
詳しくは読売新聞オンラインよりご覧ください
▼
下野新聞「西行桜」樹勢回復へ 大田原の光丸山法輪寺、地元有志ら実行委
▼
なんとかこの名桜が元気を取り戻し、長く春の名物として咲き続けてほしいものです。
2022年3月14日
文 岡田 康男
Commentaires