佐野源左衛門 常世 さのげんざえもん つねよ
No. 38
【佐野源左衛門 常世】
さのげんざえもん つねよ
Sano Genzaemon Tsuneyo
「いざ鎌倉!」という武士の心得を体現。「鉢の木」物語の名言として武士のみならず現代にまで伝わる。
【別称・通称】(諱)常世(つねよ)
【官位】従五位上長門守/左衛門尉
【生年】不詳/鎌倉中期(1250年頃)
【没年】不詳
【時代】鎌倉時代初期
【氏族・血族】藤姓足利流佐野氏
【在所・所領】下野国佐野荘
【墓所】佐野市嘉多山町/願成寺
【由縁の場所】栃木県佐野市/群馬県高崎市/松井田町
【家系・系譜】
父:?
■いざ、鎌倉!「鉢木」の物語
「いざ鎌倉」という言葉や用法は、現代のほとんどの人が知っているだろう。
しかし、その言葉の源泉を知る人は少ないだろう。
有名な武士の心得となる「いざ鎌倉」という言葉は、能の演目『鉢の木』によって描かれ、後世に伝えられた。
そのモデルとなった武士が佐野源左衛門 常世である。
『鉢の木』は、鎌倉幕府執権だった北条時頼が康元元年(1256年)に病でたおれ、出家して西明寺入道となり、自らの地位を隠し旅僧として諸国行脚したことが記されている『太平記』や『増鏡』を元にしたものだとされる。
能「鉢木」の作者は、観阿弥・世阿弥ともいわれるが定かではない。
■『鉢木』物語のあらすじ
『鉢の木』物語のあらすじ
ある雪の日、旅の僧が下野国佐野荘にある佐野源左衛門常世の小さな家に一夜を借りに立ち寄った。
源左衛門常世は、貧乏ながらもなけなしの栗飯を出し、暖をとるために秘蔵の鉢植えの梅・松・桜を火にくべて精一杯もてなした。
その夜、源左衛門常世は旅の僧に、本来自分が所領である佐野庄三十余郷の領土を、わけあって押収されたことを話した。
そして「今は落ちぶれているが、鎌倉にもしものことがあれば「いざ鎌倉」と馳せ参ずる覚悟である」と語った。
僧が旅立った後、幕府から招集命令が下り、諸国の武士が鎌倉に駆けつける内に源左衛門常世もいた。
源左衛門常世が執権に召し出されると、そこに現れたのは出家した北条時頼で、あの雪の日に泊まった僧が時頼だったことを知る。
時頼は、源左衛門常世に押収された佐野庄三十余郷を返し与え、さらに家でもてなされた時に使った薪の種類、梅・松・桜に合わせ、梅・松・桜の名のつく、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土を恩賞として与えたといわれている。
☆「鉢の木物語」の詳細は、ポータルサイト「坂東武士図鑑」に掲載してあります♪
(下の画像をクリックしてご覧ください。)
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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