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由良成繁 ゆらなりしげ 


No. 50


【由良成繁】

ゆらなりしげ 

Yura Narishige



混沌とした戦国時代の中で、下克上により主君から金山城を奪い城主として独立、上杉や武田と並ぶ大名となる。



【別称・通称】熊寿丸(幼名)/新六郎(通称)/横瀬成繁

【官位】信濃守

【生年】永正3年(1506年)

【没年】天正6年(1578年)

【時代】戦国時代〜安土桃山時代

【氏族・血族】横瀬氏/由良氏

【在所・所領】上野国太田/新田金山城

【墓所】鳳仙寺(群馬県桐生市)

【由縁の場所】太田市/金山城址


【家系・系譜】

父:横瀬泰繁

兄弟:横瀬繁雄、横瀬繁顕、横瀬長繁

妻:妙印尼

子:国繁、渡瀬繁詮、成田氏長正室、黒田直之室



由良成繁は、上野横瀬氏の第八代当主で、後の由良氏初代当主。

新田義貞の子孫という説もある。



■上野横瀬氏(後の由良氏)八代当主


上野国の大名・横瀬泰繁の長男で、後に新田氏宗家が代々相伝していた新田郡由良郷を治め、その地名により姓を由良に改めた。


この改名は、由良成繁が下克上を起こして戦国大名として独立したことを天下に知らしめるためといわれる。


由良氏は、元々は小野篁の流れをくむ小野氏の子孫で、新田義貞の孫・新田貞氏の流れをくむ横瀬氏ともいわれる。


また、新田義貞の側近で新田四天王の一人である由良具滋の末裔ともいわれている。



主君を変え生き残った由良氏


はじめ岩松氏に家老として仕えていたが、下克上を起こして主君の岩松守純から新田金山城を奪い独立した。


由良氏の領国である上野国は、甲斐武田氏、上杉氏、古河公方足利氏、後北条氏と周囲を強大な勢力に囲まれていた。そのため由良氏は、関東管領上杉氏〜後北条氏〜上杉謙信〜再び後北条氏と、次々と主君を変え生き残りを図った。


成繁は、天正元年1573年に館林城を陥落、後桐生氏の居城である柄杓山城を落として同氏を滅ぼすと、居城であった金山城を嫡男の国繁に譲り、天正2年1574年には柄杓山城に隠居した。


晩年は、気流に鳳仙寺を建立し城下町を整備するなど善政を敷いたと言われている。



■晩年


妻の妙印尼は、館林城主・赤井重秀の娘で、成繁の没後天正12年1584年に居城である金山城が北条氏に攻撃されると、71歳で篭城戦を指揮した女傑として有名である。(※No.51妙印尼の章を参照)





※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。



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