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20250328

20250328

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では『吾妻鏡』の江戸時代の写本が展示されています。『吾妻鏡』は源頼朝の平家追討に始まり、鎌倉幕府創成期から中期の90年近くの記録が書かれた貴重な史料。史実を記録したものには違いありませんが、死んでも登場する人物、2度死ぬ人物がいて、どう読んだらいいのか不思議な部分もあります。

藤原秀郷のテーマとは離れますが、『吾妻鏡』のミステリーをのぞいてみます。

20250326

20250326

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では、狩野松栄(かのう・しょうえい)が描いた『佐野昌綱像』(複製)が展示されています。佐野昌綱は戦国時代の唐沢山城主で、上杉謙信と攻防戦を繰り広げました。

佐野昌綱と謙信は1530年(享禄3年)の寅年生まれの同い年。佐野氏は小さな地域を支配する国衆(国人領主)に過ぎませんが、関東七名城の一つ・唐沢山城の堅牢さを十分に生かし、最強の戦国大名・謙信と互角に渡り合ったのです。

20250324

20250324

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


藤原秀郷の最大功績といえば、940年(天慶3年)に平将門の乱を鎮圧したことで、これは乱の経過を記録した『将門記』にも、歴史書である『扶桑略記』などにも書かれています。

ところで、『将門記』は誰が書いたのでしょか? 記録がなく、作者不明としかいいようがなく、いくら考えたところで結論は出ませんが、『将門記』の作者像を追うと、いろいろと想像できることがあります。今回は妄想にお付き合いください。

20250321

20250321

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)で展示されている『吾妻鏡』は、1180年(治承4年)、小山政光の妻・寒河尼(さんがわに)が源頼朝の宿営地に駆け付ける場面が紹介されています。小山氏がいち早く、頼朝に味方し、小山氏一族の鎌倉時代の繁栄のきっかけになりますが、今回はこの中でいつもスルーされている点をあえてクローズアップします。


母と共に隅田宿に馳せ参じた14歳の七郎

20250319−2

20250319−2

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)の展示史料の中に『日光山縁起絵巻』があります。奥日光で日光山・日光二荒山神社の神・日光権現の化身・大蛇と上州・赤城山の神・赤城大明神の化身・大ムカデが戦い、日光権現に味方した小野猿丸が弓矢で大ムカデを退治する場面が描かれています。

藤原秀郷の伝説に関わる『俵藤太物語絵巻』と全く同じ構図です。

20250319

20250319

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県佐野市を拠点とした佐野氏は藤原秀郷の子孫の中でも、秀郷の本拠地で栄えた直系意識の強い一族です。栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)で肖像画(複製)が展示されている佐野昌綱は、上杉謙信を相手に唐沢山城攻防戦を繰り返した戦国時代の城主です。

この肖像画は狩野永徳の父・狩野松栄(しょうえい)が描き、上部の文章も京・五山の高僧が書きました。こうした京の大物に肖像画が依頼できたのは佐野昌綱の弟・天徳寺宝衍(てんとくじ・ほうえん)の人脈、外交力があればこそ。一般的な知名度はまだまだ低いですが、天徳寺宝衍は戦国時代の関東で第一級の重要人物です。

20250312

20250312

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では、藤原秀郷の子孫として長沼氏とその系統である皆川氏の史料の展示が充実しています。その中に金剛寺所蔵の皆川広照像、伝皆川広勝像があります。金剛寺は皆川城跡(栃木市)の近くにあり、皆川氏の菩提寺。広照の兄・広勝の肖像画の展示は極めて珍しいようです。

また、皆川文書の「徳川家康書状写」には「蜷川」との誤記がありますが、同じ誤記は『信長公記』にも見られ、家康、信長と関係を持った当初の状況が伝わる史料。「みながわ」と「にながわ」を聞き間違えられたのです。

20250310

20250310

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では、秀郷の子孫として小山氏、長沼氏とその子孫・皆川氏、結城氏、佐野氏、藤姓足利氏といった栃木県内やその近辺を拠点にした秀郷流の名族に関する史料が展示されています。その中心は戦国時代までの中世に活躍した武将たちですが、秀郷の末裔には江戸時代に活躍した人物もいます。


「鬼平」長谷川平蔵は下河辺氏の末裔

20250304

20250304

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では、『俵藤太物語絵巻』など藤原秀郷の異名「俵藤太」に関する同館所蔵史料が展示されています。『絵巻』上巻は俵藤太の大ムカデ退治の名場面、下巻は平将門を討伐して鎮守府将軍に任命される場面です。

藤原秀郷を主人公とした『御伽草子』(室町物語集)の「俵藤太物語」ですが、秀郷の実像とはほど遠く、果たして「俵藤太」は本当に秀郷の異名だったのか、別人ではないのか、という感覚さえあります。いったい俵藤太とは誰なのでしょうか?

20250228

20250228

イベント資料の全体公開期間が終了しました。


個人会員(有料会員)さま向けの資料アーカイブページで限定公開中です。


↓ご入会済の方はこちらのページからご覧いただけます

https://www.bando-bushi.com/safekeepingdocuments

20250227

20250227

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)で『将門記』が展示されています。同館が所有しているのは江戸時代に書き写された写本。「平将門の乱」の顚末を描いた軍記物で、藤原秀郷が将門を討った状況も書かれた貴重な史料です。その文体は漢文で、駢儷体(べんれいたい)という対句、比喩を多用したスタイルです。


倒れる将門の巨体は中国伝説の大魔神に…

20250226

20250226

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


平安時代中期の935~940年(承平5~天慶3年)、京の貴族を震え上がらせた関東の大規模な反乱を起こした平将門は常陸、下野、上野の国府を制圧し、突然「新皇」を名乗ります。京の天皇とは別に関東を治める「新しい天皇」だというわけで、日本の反乱では空前絶後の大事件です。

将門が「新皇」を自称した動機は何だったのでしょうか?

20250225

20250225

水野先生の短編コラム

当会顧問の水野拓昌先生にコラムを書いていただきました!


栃木県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち』(2025年2月22日~3月30日)では、『将門記』や『俵藤太 下巻』など同館が所蔵する藤原秀郷と平将門に関わる史料も数多く展示されています。『俵藤太 下巻』は、「俵藤太」こと秀郷が分身した7人の将門から本物を見抜き、見事こめかみを射抜く場面が見られるようになっています。『俵藤太物語絵巻』を基に江戸時代に描かれたようです。

この2人、藤原秀郷と平将門の関係はどうだったのでしょうか?

20250221

20250221

いよいよ明日からスタートする

県立博物館テーマ展『藤原秀郷とその末裔たち~語り継がれる史実と伝説~』


▼博物館のHPで特設ページが公開されていました...!

http://www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/thema/2025hidesato/index.html

20250219

20250219

3月1日 土曜日

栃木県立博物館で講演イベントを開催します

みなさんに「藤原秀郷」をもーっと知ってもらえるように、当会オリジナルの秀郷講談や百目鬼伝説を描いたアニメーションで藤原秀郷について解説していきます。

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