

【会員寄稿コラム】ここから古への思い《2》源経基から見た平将門の乱と藤原秀郷
2026年4月10日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 埼玉県鴻巣市にある源経基の館跡です。1000年以上経っているのに周りの掘りや土類が綺麗に残っています。ただ、遺構から察するとどうも中世後半に造られた館跡のようで源経基が住んでいたと言われる館を後世に作り変えたのでは?との意見もあります。 ところで、源経基(みなもとのつねもと)って誰?頼朝、義経は知っているんだけど。 曲輪の北側の小高い所にある大きな板碑には「六孫王源経基城址」。六孫王ってどういう意味? 源経基の父は、清和天皇の第六皇子「貞純親王」です。また天皇の孫(男子)の総称は○○王、父が六番館の皇子で経基は清和天皇の孫の王と言う訳でしょうか。臣籍降下(しんせきこうか)?と言うことはあの清和源氏、「みなもとの○○」の最初の人(始祖)です。 *臣籍降下とは、皇族を離れて姓を与えられ臣下となること 938年(承平8)平安時代中期、武蔵権守(埼玉県知事代理)の興世王(おきよおう)と武蔵介(埼玉県副知事)の源経基の二人は任地の武蔵に着くと早速、検注(土地調査)をやり年貢を追


『宇都宮城1000年の謎~英雄・藤原秀郷の軌跡を辿るSAMURAI体験~』2026年4月18日開催
今回の栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会のイベントは、宇都宮JCへのネタ提供のコラボ! 超行楽日和で「たくさん来るかな〜?」とは、思いましたが、あまりに間髪なく沢山のお子さんが来てくれて、写真は自分が対応した子だけなんで、数えてないけど200人以上が百目鬼を作ってくれました! 監修役で済むかと思いきや、他のブースも、企画にも、参加できず😂 しかし、子供達がとっても喜んでくれて、癒された😊 また、開催してほしい。


栃木の武将 藤原秀郷をヒーローにする会 皆川城跡・金剛寺 歴史探訪レポート 2026年3月28日開催
『法螺貝城。地形が、そのまま戦略だった!』 絶好の行楽日和。やわらかな陽気に誘われ、「栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会」では、栃木市の皆川城跡と金剛寺を訪れ、皆川氏の歴史を学びました。 実際に山へ足を踏み入れると、そこはまさに“体感する歴史”。「ここが曲輪か?」「この堀切は深すぎて攻められない」といった声が自然と上がり、進むほどに山城の構造が立体的に見えてきます。皆川歴史研究会代表・大橋氏による解説のもと、地形そのものが“歴史の教科書”であることを実感しました。急な斜面を登った頂上からの眺望も素晴らしく、桜や菜の花に彩られた里山の風景が広がります。参加者の皆さんとお弁当を広げ、春の訪れを味わうひとときとなりました。 金剛寺から望む皆川城址 柿上住職の操縦にてドローン空撮 皆川城址 皆川氏は、藤原秀郷の流れをくみ、小山氏、長沼氏を経て続く武家の系譜に連なる一族です。その居城である皆川城は、山全体を利用した典型的な山城で、尾根に沿って曲輪や土塁を幾重にも配置し、堀切によって敵の侵入を遮断するなど、戦国期の高度な防御構造を今に伝えています。こうした


【佐野支部】春の藤原秀郷祭り「和楽器と日本舞踊で秀郷を想う」
2026年3月29日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会・佐野支部主催のイベントが開催されました。 永島正光さんより開催レポートを寄稿いただきました。 イベント概要 「春の藤原秀郷祭り」 開催日:2026年3月29日(日)13時30分~15時 会場:佐野市中央公民館3階ホール(佐野市金井上町2519) 主催:栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会・佐野支部 協力:一般社団法人あそのま麻むら保存会 後援:公益財団法人佐野市民文化振興事業団 内容 第1部 栃木の武将「藤原秀郷」をヒーローにする会の1年間の活動報告など 第2部 和楽器と日本舞踊で秀郷を想う「扇の的」、「秀郷絵巻」 【出演者】 (日本舞踊)若柳 緑さん (和楽器奏者)たきがわ よしひろさん 打ち合わせ、リハーサル、半年の準備期間を経ての発表となりました。 会議室ではありません、3F大ホール?です。約100名のお客様にご来場いただきました。 佐野支部本郷さんの挨拶からスタート、前半のメインテーマ


『宇都宮市大谷町探訪』2026年2月21日開催
今回の行程は、 多氣不動尊→ 大谷寺 →大谷グランド・センター 平安から続く信仰と産業の地『大谷』 岩に刻まれた祈り、そして現代の感性によって再生した文化拠点を巡る一日です。 【多氣不動尊 】山に息づく信仰と伝承 朝10時、春を感じる温かさの多氣不動尊に集合。 多氣山の静かな空気の中、当会会員の”宮の語りべ”有岡光枝さんより、この地に伝わる伝説や多氣山の歴史について丁寧にお話を伺いました。 修験の山としての信仰、宇都宮氏ゆかりの山城跡としての側面、 そして今もなお人々を惹きつける不思議な力。 先日、当会会員の長島さんも多氣山の投稿を頂いたので、気になった方は、こちらもどうぞ。 ↓ https://www.bando-bushi.com/post/260213 長く一直線の石段を一段一段進みながら、 歴史を「感じ」整備された境内に春を感じる時間となりました。 【大谷寺】岩に刻まれた千年の祈り 続いて訪れたのは大谷寺。 平安時代に彫られた磨崖仏「大谷観音」と、高さ27メートルの「平和観音」を拝観します。 岩肌に直接刻まれた仏の表情は、華やかさはなくと


【会員寄稿コラム】ここから古への想い《1》
2026年1月25日 栃木の武将藤原秀郷をヒーローにする会 佐野支部 永島正光 多気城碑 「多気山城から見る名門宇都宮氏の終焉」 「これで北条が進軍して来ても、いち早く備えができよう」 1585年(天正13)小山秀綱を蹴散らし、怒涛の北征を続ける小田原北条氏。ビビる宇都宮国綱は本城を宇都宮からここ多気山に移します。確か前方は見通しはきくが……西の鹿沼方面はみえない? 鳥瞰図(余呉さんのHPより) 道しるべ(多気山頂) 1588年(天正16)北条氏に降った皆川氏に西方城を、奪われた国綱、佐竹の援軍を得て皆川氏の出城諏訪山城に襲いかかる。 圧倒的な兵力で皆川勢を攻め続け諏訪山城、真名子城、富張城(神楽岡)、深沢城(布袋が丘)へと押しまくる。吹上城を落とし残るは皆川本城、しかし、皆川軍の後詰め壬生義雄に手薄の多気山城を狙われ、急遽無念の退却… 鹿沼の城郭 1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐で宇都宮18万石を安堵された国綱だったが、跡継ぎ(男子)がいない…、秀吉から子飼い重臣、浅野長政(秀吉の正妻、ねねの親族)の二男長重を養子にと勧められる。国綱

























.png)










.png)